お参りをしている途中で、ふっと風が吹くことがあります。
神社の参拝中に風が吹くと、歓迎のサインだという言い方をよく見かけます。けれども強すぎる風は警告だという言い方も並んでいて、どちらなのか分からなくなりますよね。
そこで当記事では、神社の参拝中に風が吹くことについて、語られている意味と、社の案内で確かめられることを分けてお伝えしていきます。
強風のとき、無風のとき、風がまったく吹かなかったときの受け取り方まで分かります。読み終えたあとは、風が吹いても吹かなくても気持ちが落ち着きます。
- 風に正反対の意味が並んでいる理由
- 強風・無風・風が吹かない日の受け取り方
- 風の神様をまつるお宮と参拝のしかた
神社の参拝中に風が吹くのは歓迎のサインと言われています

神社の参拝中に風が吹くのは歓迎のサインだと言われていますが、これは言い伝えとして語られているもので、社の案内に書かれている決まりではありません。
風にどんな意味があるのかは、一つに決まっていません。同じ強い風が、歓迎のしるしとも、気をつけて進む合図とも語られています。
下の表は、よく語られている意味と、同じ風についての別の言い方を並べたものです。右の列は、神社本庁と伊勢神宮の案内にその記述があるかどうかです。
| 語られている意味 | 同じ風についての別の言い方 | 社の案内の記述 |
|---|---|---|
| 神様からの歓迎 | 強すぎる風は気をつけて進む合図 | 見当たらない |
| 心の浄化・邪気払い | 冷たい風は距離を置く合図 | 見当たらない |
| 運気の変わり目 | 変わる向きは書かれていない | 見当たらない |
| お使いの神様が走り回る音 | 同じ強風を叱られたと読む | 見当たらない |
| ご縁のある社のしるし | 吹かない社は縁がないとは言われない | 見当たらない |
| 神様が近くにいるしるし | 無風でも近くにいると読む | 見当たらない |
出どころは神社本庁「参拝方法」と伊勢神宮「内宮の別宮」で、いずれも2026年10月15日時点の記述です。
つまり、風の意味を調べるほど答えが増えていきます。意味が決まっていないのだから、自分が受け取りやすいほうで受け取って差し支えありません。
歓迎のサインという言い方が広がっている理由
歓迎のサインという言い方が広がっているのは、風が人の手で起こせないものだからだと考えられます。
自分で鳴らした鈴や、自分で入れた賽銭は、自分の動作です。風は自分では起こせないので、向こう側から返ってきたように感じられます。
しかも風が吹くのは、手を合わせて目を閉じている瞬間が多くなります。音と肌の感覚しかない状態なので、小さな風でもはっきり届きます。

目を閉じている時間が長いほど、風は強く感じられます。
同じ風に正反対の意味が並んでいます
同じ強い風に、歓迎と警告という正反対の意味が並んでいます。
お使いの神様が喜んで走り回ると強風になる、という言い方があります。その一方で、強い風は立ち止まって考えるようにという合図だという言い方も語られています。
どちらにも、そう決まっている理由は示されていません。同じ出来事に反対の意味を当てられるということは、意味のほうが後から足されていると考えられます。
そして足される意味は、そのときの気持ちに合うほうが選ばれます。願いが決まっている日は歓迎と受け取り、迷っている日は警告と受け取る、という形です。
風に意味を足したくなるのはお参りが静かだからです
風に意味を足したくなるのは、お参りには返事がないからだと考えられます。
願いを伝えても、言葉は返ってきません。手を合わせて目を閉じた数十秒は、こちらが話しかけるだけの時間です。
その静けさの中で、自分の動作ではないことが一つ起きる。だから風が返事のように感じられて、意味を探したくなるのだと思っています。
この受け取り方そのものは、悪いことではありません。意味を決めつけて、吹かなかった日を悪い日にしてしまうところだけ気をつければ足ります。
社の案内に「風は歓迎のしるし」という記述は見当たりません
社の案内に、風を歓迎のしるしとする記述は見当たりません。
神社本庁の参拝方法のページに書かれているのは、お参りで御神威をいただくにはまず心身を清めることが必須の条件だと考えられてきたこと、そして現在の作法の基本形が再拝・二拍手・一拝であることです。
風をどう受け取るかという話は出てきません。歓迎されているかどうかを気にしなくても、作法のほうは変わらないということです。
風と一緒に語られるほかのしるし
風のほかにも、歓迎のしるしとして語られている出来事がいくつもあります。
よく並べられるのは、次のような出来事です。どれも言い伝えとして語られているもので、社が決めたしるしではありません。
- お参りのあいだだけ天気が変わる・虹が出る
- 紙垂や拝殿の幕が揺れる・雲の間から光が差す
- 鳥や蝶が近づいてくる・境内で動物に出会う
- ご祈祷や神楽、結婚式や七五三に出会う
- 拝殿の前だけ急に人がいなくなる
並べてみると、どれも「その日その場で起きやすいこと」ばかりです。人の多い社ではご祈祷や結婚式に出会う日が多くなり、木の多い社では紙垂や幕が動く日が多くなります。
しるしの数を集めても、歓迎された度合いが測れるわけではありません。一つでもうれしかったものがあれば、それで足ります。
風を感じたときにすることは手水と拝礼だけです
風を感じたときの特別な作法はないので、することは手水と拝礼だけです。
神社本庁の案内には、お参りの前に手水で心身を清める手順と、拝礼の基本形が書かれています。風が吹いたときに足す動作は出てきません。
- 右手で柄杓を持ち、左手を洗う
- 持ち替えて右手を洗う
- 左手に水を受けて口をすすぐ(柄杓に直接口をつけない)
- 拝礼は再拝・二拍手・一拝が基本形
この流れは社や地域によって特色があるとも書かれています。行き先に独自の拝み方の案内があれば、そちらに合わせれば足ります。
神社で風が吹く場所とタイミング別に言われている意味

神社で風が吹く場所やタイミングごとに意味が語られていますが、どれも言い伝えなので、覚えなくても参拝に差し支えはありません。
よく挙がるのは、鳥居・拝殿・願いを伝えた直後・帰り際の4つです。ここでは、それぞれどう語られているのかと、そのとき実際にすることを並べます。
鳥居をくぐったときに風が吹く
鳥居をくぐったときの風は、来たことに気づいてもらえた合図だと語られています。
入口に立ったときだけ風を感じる、という話は多く見かけます。鳥居は社の外と内を分ける場所なので、ここで起きたことに意味を置きたくなるのだと考えられます。
このとき実際にすることは、一礼して端を歩きはじめるだけです。風が吹いても吹かなくても、入り方は同じです。
拝殿で手を合わせた瞬間に風が吹く
拝殿で手を合わせた瞬間の風は、願いが届いたしるしだと語られています。
拝殿の前は、社殿の屋根と木立に挟まれていて空気が動きやすい場所です。そのうえ目を閉じているので、気づきやすい条件がそろっています。
ここですることも変わりません。再拝・二拍手・一拝の流れを最後まで済ませてから、頭を上げれば足ります。
願いを伝え終えた直後に風が吹く
願いを伝え終えた直後の風は、返事だと語られています。
伝え終えた直後は、息を吐いて肩の力が抜けるところです。体がゆるんだぶん、肌で感じ取れる範囲が広がります。
返事だと受け取れた人は、そのまま受け取って構いません。受け取れなかった人も、伝わらなかったわけではありません。
後ろから風が吹く
後ろから風が吹くのは、背中を押されているという言い方で語られています。
拝殿に向かって立つと、参道はまっすぐ後ろへ伸びています。参道は木立のあいだを通る細い道になっていることが多いので、後ろから抜ける向きの風は起きやすくなります。
そう考えると、後ろからの風は珍しいものではありません。背中を押されたと感じられたなら、その感じを持って帰れば十分です。
帰り際や鳥居を出るときに風が吹く
帰り際の風は、見送りだと語られています。
行きは緊張していて、帰りは気がゆるみます。同じ風でも、帰りのほうが気づきやすいという差があります。
帰るときの作法は、鳥居を出る前に社殿のほうへ向き直って一礼するだけです。風を感じたなら、その一礼に気持ちを乗せれば足ります。
おみくじを引くときに風が吹く
おみくじを引くときの風は、引いた中身が合っているしるしだと語られています。
授与所の前は社務所と社殿のあいだに当たることが多く、建物のあいだを抜ける風が通ります。立ち止まって紙を広げるので、動いた空気に気づきやすい場面でもあります。
神社本庁の案内では、おみくじは吉凶を見るためだけのものではなく、書かれている内容を生活の指針にすることが何より大切だとされています。風より、紙に書かれている言葉のほうを読み返してください。
御神木のそばで風が吹く
御神木のそばの風は、木を通した返事だと語られています。
大きな木の下は、葉が日ざしをさえぎって気温が下がります。まわりとの温度差があるぶん、空気が動きやすい場所です。
そばに立つと、葉の音まで一緒に届きます。風そのものは同じでも、音がつくと受け取り方が変わります。
神社で風が強く吹くときの受け取り方

神社で風が強く吹いても、悪いことが起きる前ぶれではありません。強風を悪い意味にしている社の案内は見当たりません。
強い風に意味を感じるのは、音が大きくて体が揺れるからです。驚いたぶんだけ、意味を探したくなります。
強風を歓迎と読む言い方と警告と読む言い方
強風については、歓迎と読む言い方と警告と読む言い方の両方が語られています。
歓迎として語られるのは、お使いの神様が喜んで境内を走り回るという説明です。警告として語られるのは、進もうとしている道を一度止まって見直すようにという説明です。
どちらの説明にも、そう決まっている根拠は示されていません。両方が並んでいる以上、強風が出た時点で良し悪しは決まらないと考えられます。
突風やつむじ風が起きたとき
突風やつむじ風も、意味を決めずにそのまま受け取って差し支えありません。
境内は木立と社殿で区切られているので、空気の通りが場所ごとに変わります。角を曲がった先で急に強くなるのは、建物のあいだを抜けるときに起きやすい動きです。
ただし、砂やほこりが舞ったときは目を閉じて待つのが先です。意味を考えるのは、落ち着いてからで間に合います。
冷たい風と暖かい風の違い
冷たい風と暖かい風を分けて意味づける言い方もありますが、社の案内にその区別はありません。
冷たい風は身が引き締まる感じ、暖かい風は包まれる感じになります。意味の違いというより、体の感じ方の違いだと考えられます。
木陰は日なたより気温が低く、水辺のそばはさらに冷えます。社によって冷たい風が吹きやすい場所があるだけ、ということもあります。
風の音が大きく聞こえるのは境内が静かだからです
境内の風が大きく聞こえるのは、まわりが静かだからだと考えられます。
社の境内は木立で囲われているので、道路の音が届きにくくなります。静かな場所では、葉の擦れる音や幕の動く音がそのまま耳に入ります。
同じ強さの風でも、駅前で感じれば気づかず、境内で感じれば大きく感じられます。音の差が、意味を探したくなる気持ちにつながっているのだと思っています。
風の強い日に持っていくと楽なもの
風の強い日は、髪と目を守れるものがあると参拝が楽になります。
砂やほこりが舞う境内では、髪をまとめるゴムと、目をぬぐえるハンカチがあるだけで違います。玉砂利の上は細かい砂が立ちやすい場所です。
広がりやすいスカートや、飛ばされやすい帽子は、風の日は向きません。帽子は拝礼の前に外す形になるので、手に持てるものがあると困りません。
髪が乱れるのを気にしなくても、作法を外したことにはなりません。服装の考え方は神社参拝の服装は女性も自由?ジーパンや靴のマナーと色も解説にまとめています。

砂ぼこりが舞ったときは、意味を考える前に目を守ってください。
神社で風が吹かないのは歓迎されていないサインなのか

神社で風が吹かなくても、歓迎されていないということではありません。風が吹かないことを悪いしるしとする記述は、社の案内に見当たりません。
風が吹いたら歓迎、という読み方を先に入れてしまうと、吹かなかった日に落ち込むことになります。ここは順番を逆にしたほうが楽になります。
風が吹かない日に意味はありません
風が吹かない日に、特別な意味はありません。
風は天気と地形で決まるものなので、吹かない日もあります。社の側の都合ではなく、その日の空気の都合です。
歓迎されたかどうかを風で確かめようとすると、確かめる方法が天気に左右されてしまいます。そこは切り離して考えたほうが落ち着きます。
拒絶されているサインという言い方について
拒絶されているサインという考え方を書いている社の案内は見当たりません。
雨に降られた、体調が崩れた、人が多くて近づけなかった。こうした出来事を拒絶と読む言い方もありますが、同じ出来事を歓迎のしるしと読む言い方も並んでいます。
読み方が一つに決まっていないので、行けなかった日は日を改めれば足ります。参拝で気にしなくてよい話の線引きは神社参拝のタブーは3つに分かれる|服装や喪中と作法の注意点にまとめています。
呼ばれているサインという言い方について
呼ばれているサインという言い方も、社の案内の記述ではありません。
名前を何度も見かけた、人からすすめられた、行く予定が急にそろった。こうした出来事が呼ばれたしるしとして語られています。
行きたいと思ったのなら、それだけで足ります。呼ばれた証拠がそろうのを待たなくて差し支えありません。
歓迎されたかどうかが気になるときに見るところ
歓迎されたかどうかが気になるときは、風ではなく、その日できたことを見てください。
拝殿まで行けたか、手水で清められたか、授与所やご祈祷の受付が開いていたか。この3つは自分で確かめられて、天気に左右されません。
この見方にすると、落ち込む材料が減ります。受付が閉まっていた日も、次に行く時間が分かったという収穫になります。
神社で無風なのに風を感じたときに確かめられること

無風なのに風を感じたときは、その場で3つのことを見ておくと、あとから思い返しやすくなります。
意味を決めるためではありません。何が動いていたのかを覚えておくと、不安のほうが小さくなります。
- 木の葉や紙垂が揺れていたか
- 自分が立っていた場所は通り道か
- 直前に目を閉じていたか
木の葉や紙垂が揺れていたかを見る
まず見るのは、周りの木の葉や紙垂が揺れていたかどうかです。
紙垂は拝殿や鳥居に下がっている白い紙のかざりで、弱い風でもはっきり動きます。葉も紙垂も動いていなかったのに肌で感じたのなら、そこははっきり覚えておけます。
逆に、揺れていたのに気づかなかった場合は、風そのものはあったことになります。どちらだったかを覚えておくだけで、あとから悩まずに済みます。
立っていた場所が風の通り道だったかを見る
次に見るのは、自分が立っていた場所が風の通り道だったかどうかです。
通り道になりやすいのは、鳥居の真下、社殿と社務所のあいだ、石段の上、池や川のそばです。どれも空気の抜け道が細くなる場所です。
通り道に立っていたのなら、風が起きても不思議ではありません。それでも、そのときに感じたことは消えません。
直前まで目を閉じていたかを思い出す
最後に思い出すのは、風を感じた直前まで目を閉じていたかどうかです。
目を閉じているあいだは、音と肌の感覚だけが頼りになります。ふだんなら気づかない弱い風でも、このときははっきり届きます。
自分だけ感じた、という話が多いのもここが理由だと考えられます。同じ場にいた人は目を開けていて、気づかなかっただけということがあります。
帰ってから一行だけ書き留めておく
帰ってから、感じたことを一行だけ書き留めておくのがおすすめです。
書くのは、社の名前と日付、どこで風を感じたか、そのとき何を願っていたかの3つで足ります。意味の答え合わせではなく、自分の記録として残す形です。
何度かたまってくると、同じ社の同じ場所で感じていることに気づくことがあります。そこが風の通り道だった、という答えが自分で見つかります。
神社の風は自然のしくみでも説明がつきます

神社で風がよく吹くのは、境内が木立に囲まれていて空気の通り道ができやすいからだと考えられます。
ここから先は、気象の専門の資料で確かめたものではありません。身の回りで起きていることの説明として読んでください。
木立のあいだは風の通り道になります
木立のあいだは、風の通り道になりやすい形です。
多くの社は、まわりを木に囲まれた中に参道がまっすぐ伸びています。囲いの中の道は、広い場所より空気が速く抜けていきます。
そのうえ木陰は気温が下がるので、日なたとのあいだで空気が動きます。参道に入った途端に涼しい風が来るのは、この形で起きていると考えられます。
時間帯によって風の向きが変わります
時間帯によって、風の向きも強さも変わります。
海や山の近くでは、昼と夕方で風の向きが入れ替わるのが知られています。夕方にふっと風が出るのは、その切り替わりに当たっていることがあります。
行く時間によって感じ方が変わるということです。夕方以降の参拝で気をつけることは神社参拝の時間は夕方でもいい?17時以降と逢魔時の言い伝えにまとめています。
雨上がりと季節の変わり目は風が出やすくなります
雨上がりと季節の変わり目は、風が出やすい時期です。
雨が上がった直後は空気が入れ替わるので、急にひと吹き来ることがあります。春と秋は天気が数日ごとに変わるため、風の日が続きます。
初詣や七五三のころにも、北から風が入る日が重なります。参拝の多い時期と風の多い時期が重なっているぶん、風の話が集まりやすいとも考えられます。
しくみで説明がつくからといって、感じたことが消えるわけではありません。通り道に立っていたと分かっても、そのとき胸が軽くなったことは本当に起きています。
説明と気持ちは、別の引き出しに入れておけます。両方持っておくと、吹いた日も吹かなかった日も落ち着いて帰れます。
風の神様をまつる神社は古くからあります

風は昔から祈りの相手でした。伊勢神宮には風雨をつかさどる神様をまつる別宮があり、風を祈る祭りが年に2度あります。
歓迎のしるしという言い方とは別に、風そのものを大事にしてきた形がここにあります。社の案内で確かめられるのは、こちらです。
内宮の別宮・風日祈宮(かざひのみのみや)
風日祈宮は、伊勢神宮の内宮の域内にある別宮で、風雨をつかさどる神様をまつっています。
- 御祭神: 級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)
- お祭り: 風日祈祭(毎年5月14日・8月4日)
- 古い記録: 延暦23年(804年)の『皇太神宮儀式帳』に記載
- 場所: 内宮の神楽殿授与所の向かい側の参道を進み、風日祈宮橋を渡って右手
御祭神のお二方は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で、とくに風雨をつかさどる神様として伝えられています。雨風は作物に大きく関わるため、古くから正宮に準じて丁重にまつられてきました。
風日祈祭は、風雨の災いがなく五穀が豊かに実ることを祈るお祭りです。古くは「風神社」とも呼ばれていたと書かれています。
延暦23年の記録に残るお宮です
風日祈宮は、延暦23年(804年)の記録にすでに名前が出てきます。
その記録は『皇太神宮儀式帳』で、古くは「風神社」とも称されたと案内に書かれています。雨風が作物を左右するため、正宮に準じて丁重にまつられてきました。
お祭りが春と夏の年2度にあるのも、作物の時期に合わせた形だと考えられます。5月は植える前、8月は実る前にあたります。
外宮にも風をまつるお宮があります
外宮にも、同じ風雨の神様をまつる風宮(かぜのみや)があります。
風日祈宮の案内には、外宮の風宮と同様に「神風」を吹かせた風雨の神をまつる別宮だと書かれています。内宮と外宮の両方に、風のお宮があるということです。
風が参拝のしるしとして語られるようになったのは近年の言い方ですが、風そのものを祈りの相手にしてきた形は1200年あまりさかのぼれることになります。
祈られていたのは、歓迎のしるしとしての風ではありません。作物を倒す風を鎮め、恵みの雨を運ぶ風を願う、暮らしに直結した祈りでした。
風を感じたことがきっかけで気になったのなら、風の神様をまつる社をたずねてみるのも一つです。全国の社は風属性のパワースポット8か所|風の神をまつる神社一覧と受付時間にまとめています。
私は神社で風が吹いてもそのまま手を合わせています

私は、風が吹いても意味を決めずに、そのまま手を合わせる形にしています。
そう決めている理由は2つあります。風を歓迎のしるしとする記述が社の案内に見当たらないこと、そして同じ強風に歓迎と警告の両方が当てられていることです。
意味が決まっていないものを先に決めてしまうと、吹かなかった日に落ち込む理由だけが残ります。それなら、作法を済ませることに戻ったほうが気持ちが整います。
ただし、風を感じてうれしかったのなら、その気持ちは残しておいて差し支えありません。覚えておくのは意味ではなく、そのときの感じのほうです。
この形で困るのは、歓迎のしるしを集めたい人だと思います。しるしを数えたい日は、風ではなく、ご祈祷やお守りのように受けられるものを目当てにするほうが満足できます。
風は、来た人を選びません。風の日に行けた人も、無風の日に行けた人も、同じように拝殿の前に立てています。

意味を決めないほうが、お参りそのものに戻りやすくなります。
神社の参拝中に風が吹くことに関するよくある質問

参拝中の風について、よく聞かれることをまとめました。
神社から拒絶されているサインはありますか
拒絶されているサインを書いている社の案内は見当たりません。雨や体調の崩れを拒絶と読む言い方もありますが、同じ出来事を歓迎のしるしと読む言い方も並んで語られています。
行けなかった日は、日を改めれば足ります。
神社で歓迎されていないサインは何ですか
歓迎されていないサインを定めている記述も見当たりません。風が吹かなかった、人が多かった、閉まっていたという出来事が挙げられることはありますが、どれも社が決めたしるしではありません。
気にせず、お参りできた日のことだけ覚えておけば十分です。
神社に呼ばれているサインはありますか
呼ばれているサインという言い方も、社の案内の記述ではありません。名前を何度も見かけた、予定が急にそろったといった出来事が語られています。
行きたいと思った時点で、出かける理由は足りています。
神様が近くにいるサインはありますか
近くにいるしるしを一覧にしている社の案内は見当たりません。風・光・鳥の声などが挙げられますが、いずれも言い伝えとして語られているものです。
しるしを探すより、作法どおりにお参りするほうが落ち着きます。
参拝中に風が吹くのはよくあることですか
よくあることです。境内は木立に囲まれていて空気の通り道ができやすく、拝礼の最中は目を閉じているので気づきやすくなります。
珍しいことではないので、吹いたからといって急いで意味を決めなくて差し支えありません。
風が強い日は参拝を避けた方がよいですか
風が強い日を避けるよう書いている社の案内は見当たりません。ただし木の枝や立て看板が倒れることがあるので、足元と頭上には気をつけてください。
荒天で境内への立ち入りを止める社もあります。出かける前に、行き先の知らせを見ておくと確かです。
お寺で風が吹くときも同じ意味ですか
お寺の風についても、意味を定めた案内は見当たりません。歓迎のしるしという言い方は、神社とお寺のどちらでも同じように語られています。
なお拝み方は違います。神社は二拍手を入れますが、お寺では手を打たずに合掌します。
後ろから風が吹くのは背中を押されているのですか
背中を押されているという言い方で語られていますが、決まった意味ではありません。拝殿に向かって立つと参道が後ろへ伸びているので、後ろから抜ける風は起きやすい形です。
そう感じられたのなら、そのまま受け取って構いません。
風を感じたらお礼をした方がよいですか
風を感じたときの特別な作法はありません。神社本庁の案内にある流れは、手水で清めてから再拝・二拍手・一拝です。
気持ちを伝えたいなら、その流れの中で心の中で添えれば足ります。
風が吹いたことを人に話してもよいですか
話して差し支えありません。話すと消えるという言い方もありますが、社の案内にその決まりはありません。
ただ、同じ場にいた人が気づいていないことはよくあります。感じ方が違っても、それだけのことです。
風の意味は一つに決まっているのですか
一つに決まっていません。歓迎・浄化・運気の変わり目・警告といった意味が並んで語られていて、どれが正しいという根拠は示されていません。
決まっていないので、自分が受け取りやすいほうで受け取って差し支えありません。
つむじ風が起きたら悪いことですか
悪いこととする記述は見当たりません。建物や木立のあいだで空気が回ると起きやすい動きで、境内には起きやすい場所があります。
砂が舞ったときは目を閉じて、収まってから拝礼を続けてください。
風を感じたいならどの時間に行けばよいですか
時間で風を狙うことはできません。風は天気と地形で決まるので、同じ社でも日によって変わります。
行きやすい時間に行って、授与所やご祈祷の受付が開いているうちに済ませるほうが確かです。
風が吹いたから願いが叶うということですか
風と願いが叶うかどうかを結びつけている記述は見当たりません。神社本庁の案内では、おみくじについても吉凶を見るだけでなく内容を生活の指針にすることが大切だとされています。
風もしるし探しに使うより、帰ってから自分が何をするかに戻したほうが前に進めます。
まとめ|神社の参拝で風が吹いたときの受け取り方
当記事では、神社の参拝中に風が吹くことについて、語られている意味と社の案内で確かめられることを分けて紹介しました。
- 風を歓迎とする記述は案内にない
- 同じ強風に歓迎と警告が並ぶ
- 吹かない日に悪い意味はない
- 風の神様をまつる別宮がある
- することは作法どおりのお参り
意味が一つに決まっていないぶん、受け取り方は自分で選べます。ぜひ当記事を参考に、風が吹いても吹かなくても落ち着いてお参りしてくださいね。

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