武田神社の属性は地属性?御神徳の勝運と相性の調べ方も紹介

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武田神社の属性は地属性?御神徳の勝運と相性の調べ方も紹介

武田神社の属性を調べると、地属性という答えが並びます。ただ、その地属性がどこを見て決められたものなのかまで書いてあるページは少なくて、もやもやしたまま参拝の日を決めることになりがちです。

武田神社の属性は地属性とされています。甲府の躑躅ヶ崎館という館の跡地にそのまま鎮座している社なので、土地と結びつけて語られている形です。

2026年9月25日に甲斐 武田神社の公式サイトを確かめましたが、地・水・火・風・空という区分はどこにも置かれていませんでした。属性は民間の分け方の中で付けられた呼び名で、社が掲げているものではありません。

そして公式が御神徳として挙げているのは「勝運」です。属性の話で語られる土地の力とは、使われている言葉が違います。ここからは、その二つの言葉のずれを手がかりに、属性の見方と参拝の決め方まで順に書いていきます。

この記事でわかること
  • 属性は地とされ、公式には属性の記載が無い
  • 公式が挙げる御神徳は勝運で、金運は三葉の松の縁起
  • ご祈願は予約なしで毎日9時から16時に受けられる

属性より先に、社が自分で書いている言葉を見ておくと迷いが減りますよ。

目次

武田神社の属性は地属性とされています

武田神社の属性は地属性とされています

武田神社の属性は地属性とされています。ただしこれは社が掲げている区分ではなく、生年月日と血液型で人を5つに分ける繭気属性という考え方の中で付けられた呼び名です。

この社は、武田信虎公・信玄公・勝頼公の三代が住んだ躑躅ヶ崎館の跡地に建っています。境内そのものが館の跡なので、土地の来歴が属性の手がかりにされているわけですね。

見るところ公式が書いていること属性の話で語られること
使われる言葉勝運・金運(三葉の松)地属性・土地の力
御祭神武田信玄公武将をまつる社
場所の説明躑躅ヶ崎館跡・国の史跡大地に根を張る場所
区分の有無属性の記載なし地属性で固定されている
同じ社について、公式の言葉と属性の言葉を並べたもの(公式の記載は2026年9月25日時点)。

地とされる手がかりは館の跡地に建っていること

地とされる手がかりは、館の跡地にそのまま鎮座していることです。御由緒に、信玄公の父である信虎公が永正16年(1519年)に石和からこの地へ館を移したと記されています。

その館に三代が60年余りにわたって居住し、甲斐の国の政治の中心になりました。人が長く暮らした場所がそのまま境内になっているという形です。

いまも堀・石垣・古井戸が残り、昭和13年に国の史跡に指定されています。土地そのものが指定を受けているので、地と結びつけられる筋は通っていると思っています。

石和から移したという記述も、地の話として読めるところです。土地を選び、そこに国の中心を置いたという動きが御由緒に残っています。

公式に属性の記載は見当たらない

公式に属性の記載は見当たりません。御由緒・御祭神・御神徳・ご祈願の案内を見ていっても、地・水・火・風・空という5つの区分は置かれていませんでした。

公式サイトで確認できたこと(2026年9月25日時点)
  • 属性(地・水・火・風・空)の記載: 見当たらない
  • 御祭神: 武田信玄公
  • 御神徳として挙げられているもの: 勝運
  • 鎮座地: 躑躅ヶ崎館跡(国の史跡・堀と石垣と古井戸が残る)

御由緒は甲斐 武田神社の公式サイトの御由緒のページで読めます。属性で迷ったときは、社が自分で書いている言葉に戻るのがいちばん早いです。

属性は社ではなく参拝する人の側から決まる

属性はもともと参拝する人の側を5つに分ける考え方です。生年月日と血液型から自分の属性を出し、その属性と行き先の相性を見る、という順番で使われます。

社に付いている属性のほうは、その考え方をあとから場所に当てはめたものです。だから、まとめる人によって割り当てが変わることがあります。

武田神社の場合は地で割れていませんが、そうでない社もあります。同じ社が別の属性で並ぶことがあるという前提で見ておくと、答えが2つ出てきても慌てません。

景色ではなく人の営みが手がかりになっている

この社で手がかりになっているのは、景色ではなく人の営みです。地に当てられる場所というと、大きな岩や山のふもとを思い浮かべる方が多いと思います。

ところが武田神社の境内は、館という住まいと政庁の跡です。自然の造形ではなく、人が暮らし、国を動かしてきた場所ということですね。

御由緒も、山や岩の話ではなく、館を移した年と三代の居住から始まっています。地とされる根拠が土地の履歴の側にある、という形です。

ここを押さえておくと、参拝したときの見どころも変わってきます。石垣や堀の前で足を止めるほうが、この社の性格に合っています。

武田神社の神様は誰?御祭神は武田信玄公

武田神社の神様は誰?御祭神は武田信玄公

武田神社の御祭神は武田信玄公です。甲斐の国を治めた武将その人をまつっている社で、神話の神様ではありません。

ここが属性の話とつながってきます。土地に縁のある実在の人物をまつる社なので、自然の景色ではなく土地の来歴が手がかりになるわけですね。

まつられているのは信玄公ひと柱

まつられているのは信玄公ひと柱です。御由緒に御祭神として記されているのは信玄公だけで、複数の神様を並べる形にはなっていません。

ひと柱だけの社は、語られ方が1つにまとまりやすいという特徴があります。何柱もまつる社だと全属性と書かれることがありますが、この社ではそうなっていません。

そのぶん、属性の割り当てが地に落ち着きやすい形になっています。武将と土地という2つの手がかりが、同じ方向を指しているからだと考えられます。

創建は大正8年で社としては新しい

創建は大正8年です。大正4年に信玄公へ従三位が追贈されたことをきっかけに「武田神社奉建会」がつくられ、大正8年に社殿が竣工しました。

館が移されたのは永正16年(1519年)なので、土地の歴史と社の歴史は400年ほど離れています。古い社だと思って行くと、この差に驚くかもしれません。

できごと年内容
館を移す永正16年(1519年)信虎公が石和からこの地へ館を移す
三代が居住60年余り信虎・信玄・勝頼の三代が甲斐の政治の中心とする
従三位追贈大正4年追贈の奉告を機に奉建会が設立される
社殿竣工大正8年4月12日(信玄公の命日)に初の例祭
史跡指定昭和13年館跡が国の史跡に指定される
館の移転から史跡指定までの流れ(御由緒から作成)。

大正になって社が建てられた理由

社が建てられたきっかけは、大正4年の従三位追贈です。追贈というのは、亡くなったあとに位を贈ることをいいます。

その奉告を機に「武田神社奉建会」がつくられ、4年後の大正8年に社殿が竣工しました。追贈から社殿の完成までが、ひとつの流れになっています。

信玄公が世を去ってから、300年以上が経ってからの創建です。長く館の跡だった土地に、あらためて社が建てられたという順番ですね。

だから、土地の歴史のほうが社の歴史よりずっと長くなっています。属性の話で土地が手がかりにされるのは、この長さの差も関わっていると考えられます。

例祭の日は信玄公の命日に合わせてある

例祭の日は4月12日です。社殿が竣工した大正8年、信玄公の命日である4月12日に初めての例祭が行われました。

祭りの日が人の命日で決まっているのも、実在の人物をまつる社らしいところです。自然の恵みに合わせた祭りとは、決め方の筋が違います。

参拝の日を選べるなら、この日のことは覚えておくと役に立ちます。ただし当日の行事の内容までは公式の別の案内を見る形になります。

館の跡だから残っているもの

館の跡だから残っているのは、堀・石垣・古井戸です。御由緒に、いまも残るものとしてこの3つが挙げられています。

ふつうの神社では、堀や石垣が境内をぐるりと囲んでいることはありません。ここは住まいと政庁だった場所がそのまま社地になったので、防ぐための造りが残っています。

昭和13年には、この館跡が国の史跡に指定されました。社殿が建った大正8年より、指定のほうがあとという順番です。

つまり、社としての歴史と土地としての価値が別々に積み上がっています。参拝の前にこの2つを分けておくと、境内の見え方が変わります。

御祭神が武将だと分かると、属性の割り当ての理由まで見えてきますね。

武田神社はどんな効果があるのですか|勝運と金運

武田神社はどんな効果があるのですか|勝運と金運

公式が御神徳として挙げているのは勝運です。効き目を約束するような書き方はされておらず、どんな勝運なのかという説明が添えられています。

もうひとつ語られるのが金運です。こちらは御神徳としてではなく、境内にある三葉の松の縁起として記されています。

公式の言葉は「人生そのものに勝つ」

公式の言葉は「勝負事に限らず『人生そのものに勝つ』『自分自身に勝つ』」です。勝負運という短い言い方よりも、ずいぶん幅の広い書き方になっています。

試合や受験のような場面だけでなく、続けたいことを続けられるかという意味でも受け取れる言葉ですね。願いごとの種類がしぼられていない、ということです。

恋愛の願いも、この読み方なら入ります。縁結びを掲げた社ではありませんが、自分に勝つという言葉の中に置けるからです。

言い切りの形になっていないところも、読んでおきたい部分です。必ず勝てると書くのではなく、どんな勝ちを指すのかだけが示されています。

産業・経済の神としても崇敬されてきた

信玄公は産業・経済の神としても崇敬されてきました。治水や領国の経営で知られる武将なので、商売や仕事の願いごととも結びついています。

御由緒には、政治家からの崇敬を集めてきたことも記されています。勝運という言葉が選挙や事業の場面でも受け取られてきた、ということですね。

属性の話では土地の力と言われますが、公式の側では人の働きの話になっています。同じ社について、注目している場所が違うわけです。

三葉の松は金運の縁起で知られる

三葉の松は金運の縁起で知られています。境内のこの松は全国でも珍しいもので、黄金色になって落葉することから、身につけると金運のご利益があるといわれています。

ここで大事なのは、金運が御神徳の欄ではなく松の縁起として書かれているという点です。勝運と金運は、出どころの違う2つの話です。

金運を目的に参拝するつもりなら、この松のところで足を止めることになります。境内のどこにあるかは、当日の案内図で確かめてくださいね。

  • 勝運は御神徳として記されている
  • 金運は三葉の松の縁起として記されている
  • 地属性は公式のどちらにも出てこない

この3つを分けて持っておくと、参拝したあとに読む案内の言葉も整理しやすくなります。私だったら、まず勝運の言葉のほうを手元に置いておきます。

願いたいことを願意に置きかえる

ご祈願を受けるときは、願いたいことを願意の名前に置きかえます。公式に並んでいるのはお宮参り・新車清祓・商売繁昌・家内安全・必勝祈願などで、この中から選ぶ形です。

恋愛や良縁という名前の願意は並んでいません。それでも受けられないわけではなく、近い願意に寄せて申し込むことになります。

願いたいこと近い願意寄せられる理由
試験や試合に勝ちたい必勝祈願御神徳の勝運がそのまま当たる
仕事や商売を伸ばしたい商売繁昌産業・経済の神として崇敬されてきた
家族と穏やかに暮らしたい家内安全家の願いごととして立っている
自分の弱さに勝ちたい必勝祈願公式が「自分自身に勝つ」と書いている
公式に並んでいる願意へ、願いたいことを寄せる考え方。

迷ったときは、受付で相談すれば教えてもらえます。名前が合っていないからと、あきらめてしまわないでくださいね。

武田神社のご祈願は予約なしで毎日受けられる

武田神社のご祈願は予約なしで毎日受けられる

ご祈願は予約なしで毎日受けられます。公式の案内に、随時受付で毎日午前9時から午後4時まで、所要は15分程度と出ています。

属性の相性が気になって参拝をためらっている人には、この数字のほうが役に立ちます。行ける日と時間がはっきりしているからです。

武田神社の基本情報とご祈願の受付
  • 所在地: 山梨県甲府市古府中町2611
  • 電話: 055-252-2609
  • ご祈願の受付: 毎日 午前9時〜午後4時(予約不要・随時受付)
  • 所要時間: 15分程度
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